凡人が憧れて15 ~未来は遠いです~
ドラえもん 0巻を買ってしまいました。
創作と妄想の世界にいるダメ人間の僕としては、藤子先生のSF<少し・不思議>は大好物です。
当時は質の悪い紙に印刷されたマンガだったことを考えても、クオリティーの高い永久保存版として素晴らしく、ドラえもん登場の話数だけを集めたとしてもとてつもなく面白かったです。
やはり天才、先生!
のび太のダメっぷりを治すことを目的に、未来から二人でやってくるドラえもんとセワシくんの話になります。ドラえもんの第一回を集めた本なので、そればかりになります。
正月からゴロゴロしてることを責められるのび家長男。
待ってくれ、正月なんだから許してやれよと切なくなる僕。
未来亭せわしとえもん家どら猫は、まるで熟年漫才コンビのようにダメなところを容赦なく突きまくります。
セワシ「だからダメなんだよ」
ドラえもん「だと思ったよ」
有無を言わさずたたみかけます。
せわし「ほら見たことか」
ドラえもん「だと思ったよ、君なら」
いっそのび太に同情してしまうくらいのテンポです。
そのうちにのび太だってキレます。
出会って早々に自分のだめなところだけをつらつらと言われたら、そりゃくさるよ。
がんばれ、長男のび太。
ちなみにのび太がダメ代表になった元凶は、両親の過保護というのが当時の設定でした。のび太ママは息子をのび太ちゃんと呼んでそれはそれは甘やかし、
「まだ子供だから無理よ」
と何もさせないゆるい教育をしていました。
いつのまに、「のび太!」と怒鳴るようになったのか。アニメ発進の僕からは想像できないママの姿でした。
まるでドラえもんに道具を出してもらって、
「優しいママがいる世界」
と願ったかのようです。
強くなったな、のび太!
そんな50年前の漫画が復刻するわけですから、大作はいろんな世の中を動かしていきますね。
しかしまあ、手に入れるのわりと苦労しました。
近くの本屋に行けばすぐに購入できるだろうと思ってたのが甘かったというよくあるパターンなのですが、大体のお店で売り切れを味わってしまいました。
予約って大事だ。
まさか本の予約をすることになるとは…出版業界もこんなに出ると思ってなかっただろう。だからこその冊数だったんじゃないか?というくらい売ってませんでした。
小さな小さな、おじいさんが一人でやっている、それこそのび太が立ち読みしてて怒られるような、そんな本屋でやっと見つけました。
その前に見つけたところはメルカリだった…。
なんで買ったんだよ、お前ら…。怒りを覚える僕。
僕とドラえもんの出会いはまずアニメ。
のぶ代にお世話になった世代でございます。わさびさんすみません、馴染めません。
入口はテレビアニメでしたが、当時は東映マンガ祭で抱き合わせ映画を駆使していた時代だったので、映画のドラえもんを観に行けば、必ず別のドラえもん番外編と、藤子不二雄先生の別の作品がくっついており、実質三本立てでした。
付き添っていた親にしてみれば、かなり苦痛の時間だったことはわかります。興味もないアニメの映画がずっと続くんですから。今ほど大人もハマって泣ける脚本だったわけでもないし、寝る親続出も当たり前。
我が家は2時間映画館に放置され、親たちはその間に買い物に行くというようなスタイルだったと思います。
映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD]
特に涙したのは、リトルスターウォーズ…。楽しかったな。
食い入るように映画に夢中な2時間。子供を気にかけずに、デパートで買い物を楽しむと親としたら夢のような時間だったでしょうね。平和な世の中だからこそできた技です。今なら考えられない。
子供心に突き刺さるテーマだった記憶があります。
テレビ番組では1話12分ほどのほのぼのとしたアニメも、長編ストーリーとなると自分たちの住む世界が変わってきます。平和を守れるのは僕たちだけだと奮闘するのび太とその仲間たち。
毎週都合よく出てきた未来道具も、ドラえもんがパニックになると何一つ出てきません。
欠かさず観てきた子供たちは心の中で叫びます。
「アレがあれば一発なのに! ドラえもん、アレを出すんだ!」
残念、子供よ。
大体メンテナンス中なのです。
やっとで出てきても電池切れなのです。
未来の不便がここに…。
長編映画になると電池ももたないほどの充電力。
とはいえ、藤子先生や手塚先生たちが考えていた『不便さを自由にする未来』があって、それを現実にしようと研究されたからこそ、現在の科学を人類は手に入れています。
不便なことは少なくなりましたが、便利すぎて不自由になっております。
なにより50年たったけど、偉大な偉大なドラえもんはまだ開発されません。
先生、未来はもう少し先のようです。